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『新定院と芥川龍之介の清水』芥川龍之介書簡集を辿る【前編】

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豪・芥川龍之介は静岡市清水区と関係のある偉人の一人です。

といっても清水出身だったりとか、清水の今につながる何かを開いたとか、そういう大きなつながりではありません。

まだ執筆活動を始めてもいない頃の話ですが、芥川龍之介は東京帝国大学へ進学する直前の夏の数日間を清水で過ごしました。

現在の清水区北矢部『新定院』に滞在し、目的は墓参りだったそうですが、江尻にあった海水浴場へもよく足を運んだそうです。

清水へ滞在中のことについては芥川龍之介本人が親友である井川恭への手紙として綴ったものが『芥川龍之介書簡集』の第100話目で紹介されています。

この記事はその内容から、芥川龍之介が通ったと思われるルートを歩いてみるだけの非常にマニアックな内容です。

考察も無く、当時を感じるものはほとんど残されていないただの清水町歩きですが。

臨済宗【新定院】

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新定院

水区北矢部町にある臨済宗のお寺。徳川家康公の命により建立されたお寺の一つ、1600年代から続く徳川家縁の名刹です。

芥川龍之介は最初から新定院を訪ねてきたわけでは無く、興津の『清見寺』に泊まる予定でしたが、人気のお寺なだけに満室であり、あえなく断念。

新定院は清見寺から分かれたお寺で、清見寺の人に新定院を紹介してもらい滞在することになったという話です。見どころの多いお寺なので少し紹介いたします。

精巧な像やお地蔵様

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綺麗な三猿

の前には三猿。手入れが綺麗なのか作られたばかりなのか、ものすごく綺麗な状態で並んでいます。ディティールの細かさ、サイズ感からもリアルな猿です。

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水かけ地蔵

『水かけ地蔵』水屋にお地蔵様があるのは珍しい気がしますね。

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御咳地蔵

『御咳地蔵』1817年に亡くなったおてるさんという方のお墓で、家族全員を咳で亡くし、自らも咳でこの世を去りました。

亡くなる直前に『咳で悩む方がいたら私を念じてください、守って咳を楽にさせます』と親戚に言ったそうです。

それから二百年、咳に苦しむ人が御咳地蔵に参り、全快者は墓前に感謝の意を表しているとのことです。

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竜の橋

門の手前には立派な龍の橋。小さいので渡って良いのか分からず迂回しました。

立派な本堂や枯山水

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本堂

をくぐると400年続く立派な本堂。右側が会館っぽくなっているので、芥川龍之介が滞在したのもそのあたりなのかな?

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枯山水

左を見ると立派な枯山水。赤ちゃんの石像やお酒を飲む神様の石像は今にも動き出しそう。心落ち着く空間ですが深夜に見せられたら腰を抜かすと思います。

芥川龍之介の清水

2013年に完成した書院など、紹介できる場所はまだあるのですが、今回は芥川ウォーキングが目的で来たので新定院の紹介はこの辺りで。

芥川龍之介書簡集よりマッピング

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圓通閣

タートは門前左にある通夜やお葬式が行われる『圓通閣』の正面から。

まずは何をもって芥川ウォーキングになるのかということで『芥川龍之介書簡集』の第100話から関連部分を抜き出してみました。

島根県松江市内中原町 井川恭 様
大正二年八月十六日朝 静岡縣安倍郡富士見村新定院内 芥川龍之介

朝六時頃起きて床をあげ部屋を掃除する 朝飯 飯はたいてい少し糠くさい それから机を西向きの窓の下にうつして本をよむ

(中略)

一時うつと手拭を腰にさげて一高の夏帽子をかぶって海水浴へ行く

浴場は江尻の海岸で寺から半里ある 途は可成あつい

桑の葉黍(きび)の葉の緑 胡麻の花の薄紅 埃(ほこり)に白けた月見艸がしほれ乍ら路ばたにさいてゐる

不二見橋と云ふのを渡る 欄干の下を碧い水がみがいた硝子板の如く光り乍ら流れる

半町ほど隔てた港橋の向ふには漁船の檣(ほばしら)が林立して其上に晝(ぴる)の月が消えさうに白く浮かんでゐる

橋の袂の氷店の赤い縁をとつた旗の下をすぎると

狭い茅葺瓦屋根の狭い町になる

理髪店 梨や西瓜を商ふ青物店 機屋 荒物屋 それらの家々の間には玉蜀黍(とうもろこし)の葉がそよぎ黄色い向日葵(ひまわり)の花がさしのぞく

町はづれの松原 を二三町行くと煉瓦工場の低い板葺(いたぶき)

美普教會の尖つた塔が江尻に近づいた事を知らせる 路ばたの甘藷畑 砂糖畑の向ふに青い海が的皪(てきれき)と光るものも見える

輕便鐵道の線路を一つ横切ると江尻で魚屋の壁にはられたすヽびた江戸役者の似顔繪も宿驛らしいなつかしさを感ぜしめる

江尻停車場の後をだらだらと海へ下る 鐵道院の管理の下に營業する海水茶屋が三四軒葭津張を海に張り出して旗をたてたり提灯を吊つたりして客をよんでゐる

無料休憩所へはいて着物をぬぐ 江尻の海岸は眼界が余り廣くない 右に長く差し出た三保の半島 左にたヽなはる愛鷹の連嶺その間には 伊豆の山々が曇った日はかすかな鼠色にはれた日にはさえた桔梗色に長く連なってゐる(以下略)

太字にした部分がヒントですね。これに沿って歩いていきますが前半は序盤に書いてある不二見橋(富士見橋)まで進んでいきます。

ネタ無き町を歩く

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外へ

圓通閣の正面を回れ右するとこんな感じ。先ほど少し触れた書院が左にありますが、真っ直ぐ突き当りまで進みます。

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左へ曲がり

突き当りを左に曲がるとこんな感じ。閑静な?住宅街なので特に目印は無いですが、先が見えない長い道になります。

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矢通り

暫く進んだ先で右を向いています。紛らわしくてすみません。最後に地図を載せるのでそちらで確認してください。

こちらは真っ直ぐ進むと次郎長通りとぶつかり、次郎長生家の前にたどり着きます。

弓の名手として数々の伝説を持つ、源為朝が矢を射て真っ直ぐ通したという伝説から『矢通り』と呼ばれている道です。

丁度この辺りから次郎長通りの先、巴川まで弓を飛ばしたそうです。630mほどあります。流石弓の名手...本当に人間かな?

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先に進んでいきます

矢通りの方に行っても富士見橋には行けるのですが、今回は真っ直ぐ進みます。詳しくは省略しますが当時からあったっぽい道を進むわけですね。

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馬頭観音

しばらく進んだコインランドリーの裏の駐車場あたりに『馬頭観音』の石。芥川ウォーキングと何ら関係ないものですが、かつての民間宗教の名残ですね。

馬と生活していた人たちが馬の無病息災を願って建てたものと言われています。それにしても綺麗に残っていますね。

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突き当り

その先すぐ突き当りです。こちらを右へ曲がって。

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また真っすぐ

すぐ左へ。ここで右に曲がったまま真っ直ぐ進むと地元の人以外きっと迷子になるなかなか複雑な道です。左に曲がったらまた真っ直ぐ進んでいきます。

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大きな道に出ました

岡町八丁目の道。ここまで一車線の道を歩いて来たので二車線の道が大きく見える。ここも真っ直ぐ進み、突き当りを左へ。

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住宅の間を

ギリギリ車は通れそうですけど、他の車は絶対入ってこなそうな道を進みます。突き当りは斜め右へ曲がり道なり。

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神社の隣に出ました

左側には神社があります。道に沿って真っ直ぐ進んでいきます。これと言って目印も無いです。段々書くのも飽きてきそう。後半は結構芥川関連スポットあるのですけどね。

今回とは関係のない歴史にぶつかる

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月見里笠森稲荷神社

『月見里笠森稲荷神社』先程の矢通りと同じく源為朝スポット。為朝は保元の乱の後伊豆大島へ流刑になるのですが、その際船出の場所となったのが清水港。

船出の直前に為朝が編み笠を月見里笠森稲荷神社に奉納したそうです。現在も神社には為朝の首人形『いちろんさんのでっころぼう』が奉納されています。

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まだまだ進みます

神社の門前から回れ右してまた真っ直ぐ。本当に住宅街ばかりで語る内容がありません。この辺りは岡町8丁目でしたね。ここもひたすら道なりです。

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まーっすぐ

ちょっと長いので飛ばしました。交差点を3つ。町を2つほど横断していきました。

それぞれの交差点は曲がればお店が連なってるだけに、なぜあえて何もない住宅街の隙間を縫って歩くのかという謎ルート。当時と違うのはもちろん分かってますけど。

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やっと突き当り

長い道でした。こちらは本町7丁目。左へ曲がります。

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いつまでも住宅街

使われているのか分からない何かの倉庫や、蔵持のリノベーションされた家と特徴はありますが、それでもいつまでも変わらず住宅街。

何事もなく後半へ続きます

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橋に出ました

真っ直ぐ進んだ先の交差点で右に曲がりますと、やっとこさ富士見橋へ。思った以上に何もないルートで記事にしようか迷いましたね。

芥川龍之介書簡集の内容的にもここまでは特に触れられていなかった部分ですので、清水の古い道を歩くという目的だけになってしまいました。

後編は太字でチェック入れた部分もいくつか出てくるので、記事名に合った内容をお届け...たぶんできると思います。次回更新で続けますのでよろしくお願いします。

ルートマップ

最後に今回のルートマップ。通った道はストリートビューに対応していましたので、是非同じように辿ってみてください。

実際の雰囲気は歩いてみないと分からないとも思いますので、物好きな方は散歩してみてくださいね。後編へ続く☟

『芥川龍之介の清水』新定院から旧江尻海水浴場まで歩いてみた【後編】 - 静岡市観光&グルメブログ『みなと町でも桜は咲くら』