芥川龍之介の足跡を辿るウォーキング後半です。前編☟
『新定院と芥川龍之介の清水』芥川龍之介書簡集を辿る【前編】 - 静岡市観光&グルメブログ『みなと町でも桜は咲くら』
は新定院の情報以外ほとんど清水の住宅街を歩いただけでした。
後半には芥川龍之介書簡集に載っている清水の景色と併せて紹介できる場所もありますので、どうぞ最後までお付き合いください。
芥川ウォーキング 後編
前編と併せて読んでもらえば問題ないですが、一応芥川龍之介書簡集100話の今回の記事に該当する部分をもう一度貼っておきます。コピペ文はよくないので画像で。
というわけで後編は富士見(不二見)橋からスタートです。
橋の袂の氷店
さつき通りが見える富士見橋の袂。こちらをすぐ左へ折れます。
こちらを二つ先の交差点まで真っ直ぐ進みます。左にある建物の奥に白い車が停まってるあたりは駐車場なのですが、こちらが本文 橋の袂の氷店の跡地です。
当時の建物なので残ってなくて当然と思うかもしれませんが、実は建物自体は2016年までありました。
氷店は今はほとんど残っていないと思いますが、地下等で凍らせた氷を販売するお店です。看板に焼きそば・たいやき・おでんの文字も、色々やっていたのですね。
狭い茅葺瓦屋根の狭い町
この辺りが『狭い茅葺瓦屋根の狭い町になる 理髪店 梨や西瓜を商ふ青物店 機屋 荒物屋』の場所ですね。
それらしきお店は1店舗も残っていませんし、現在は商店自体が全く無いですね。この交差点は横断して真っ直ぐ進みます。
左にあるのはお水神さん。毎年6月に例祭が行われる水の神を祀る神社ですが、芥川龍之介書簡集の中では特に触れられていません。
そのまま真っ直ぐ100mほど歩き、次の交差点を右へ曲がります。
この通りは鳥料理が美味しい居酒屋さんが多く並んでる地元で評判の道ですが、建物の特徴はあんまり無いですね。
右に曲がってすぐに、清水で唯一のあられ・おかきと書かれたお店『かわべ』さんがあります。
清水唯一...?せんべい屋さんならいくつかあるのですけど、あられ・おかき専門店はここだけってことかもしれません。
清水港の中心の道『さつき通り』にぶつかります。港橋前から清水駅前まで続く、清水みなと祭りの際には歩行者天国になって数千人が踊り歩く通りですね。
町はづれの松原
次の交差点を左に曲がります。右にちょっと見えてる建物は『清水合同庁舎』です。
この道が『町はづれの松原』があった道のようで、松自体は他のスポット同様、戦争で燃料として伐採されて跡形もないです。
書簡集にある通り、道を2~3町分進んでいきます。これまでで一番長い直線です。
煉瓦工場の低い板葺
『煉瓦工場の低い板葺』『美普教會の尖つた塔』は清水区役所の北側辺りの景色だったそうです。こちらも特に面影はありません。
砂糖畑の先に海が見えると書いてありますが、今は埋め立てで道路が伸びて海までの距離も遠くなってるので、ここからじゃまだ見えませんね。
その先の交差点で右を見ると、
スナックぼったくりが非常にきになるバーテナントのビルがありました。芥川ウォーキングと関係ないですけど、面白い看板探しも町歩きの楽しさだと思います。
区役所隣の道をまだまだひたすら真っ直ぐに。この道沿いはバーやスナックが立ち並ぶ歓楽街ですが、静岡の街中とは雰囲気が全く異なりますね。
輕便鐵道の線路
少し進んだ先にある清水の新世界。居酒屋が立ち並ぶ短い路地ですが、正面からの写真の雰囲気が凄くレトロチックで素敵です。
昔は漁船に乗って大金を掴んだ船乗りが年に数回、懐に札束をたくさん貼り付けてこの通りで豪遊したそうで、今よりも更に人通り含めて大賑わいだったそうです。
と、芥川ウォーキングと関係のない話のように聞こえますが、
新世界から回れ右すると、人がギリギリ通れるくらいの細い道。新世界からこの細い道の先までが『輕便鐵道の線路』です。
地図上でも道路扱いされていないこんな細い道を電車が通れるのが凄いですよね。
さすがにもう営業してなさそうな酒場の看板など、長屋みたいなつくりでいくつも入口があります。中からテレビの音が聞こえたので人は住んでるみたい。
昔は道が広かったという訳ではなく、港との物資を運んだりする横に細い電車だったそうで、線路の幅は今と同じ。どんな感じだったのか想像が難しいです。
江尻停車場
やっと最後の交差点です。正直右に行ってもゴールできるのですが、旧道を歩くのが正解なので真っ直ぐ進みます。
ここを左に行くと波止場踏切、高田アイスとタケダアイスのあたりにつきますね。書簡集の『江尻停車場』がこの辺りだったそうです。
突き当りを右に曲がると住宅街ですが、もうゴールが見えてきました。江尻の海水浴場は奥に見える赤い看板、冷凍食品のニチレイがあるあたり。あとは真っ直ぐ進むだけ。
100mほど進むと突き当り、真っ直ぐじゃなかった。方向は真っ直ぐなので正面のフカサワさんの左隣の道を進みます。この通りはJR清水駅みなと口の通りです。
進んだ先は港湾道路の緑色の崇徳橋(ストックトンブリッジ)。旧清水市とアメリカのストックトン市が姉妹都市になったことで命名された道路橋ですね。
江尻海水浴場
今は港として整備されていて、当時とは全然景色が違うはずなので、旧江尻海水浴場と言っていい物なのか分かりませんが、この辺りにあったことは確かなようです。
奥に船がありますけど手前の方には無いし、釣りしてる人が多いですね。どういう区画なのでしょう?
この日はあいにくの曇り空で富士山は隠れています書簡集でも『江尻の海岸は眼界が余り廣くない』とされていますが、
『左にたヽなはる愛鷹の連嶺』ともあるので、芥川龍之介はしっかり富士山を見れたみたいですね。
『右に長く差し出た三保の半島』これは今も変わりませんね。奥に見える青い屋根の辺りです。当時はどういう見え方だったのか気になります。
かなりマニアックなツアーでしたが、町の色々な箇所に思いを馳せる良い機会になりました。興味のある方はぜひまわってみてください!