清水を代表する観光スポット
雄大な富士山を砂浜から!
静岡市内唯一の世界遺産。2013年6月22日 世界文化遺産『富士山-信仰の対象と芸術の源泉』として富士山の構成資産の形で登録されました!
観光としては砂浜から見える雄大な富士山がお目当ての方が多いですが、全長約7kmの松林、羽衣の松・神の道・御穂神社と、パワースポットも沢山!
年始の初日の出スポットとしてや、夏は松の木を囲うキャンドルナイト・羽衣の舞を再現した薪能(たきぎのう)など、市民に愛されるイベントも開催されています。
三保松原観光
羽衣の松(はごろものまつ)
見所の一つである羽衣の松。三保に伝わる羽衣伝説の中で、天女が羽衣を掛けたまま忘れてしまった松とされています。
初代の松は1707年の宝永大噴火で沈んだと伝えられており、近代存在した松は2代目でしたが、2010年頃には立ち枯れが進み、危険と判断され伐採。
現在の羽衣の松は三代目として選定されたものです。
選定の条件としては伝承から、神が降り立った『羽車神社』神が歩いた『神の道』そして神が鎮座された『御穂神社』の一直線上にある立派な松とのことです。
二代目羽衣の松は、三代目の松の後方に位置する、羽車神社の隣に幹から下を残して保存されています。
羽衣伝説
三保の羽衣伝説は下記の通り(要約してます)
ある日、三保に住む漁師の白龍は、いつものように浜へ釣りに出かけました。松の間を歩いていると、輝くばかりに美しい衣が松に架かってるのを見つけました。
衣を手に取った白龍は『持ち帰って我が家の宝にしよう』と引き返えします。すると後方から『もし』と声をかけられました。
そこに立っていたのはこの世のものとは思えないほどの美女でした。
美女は『その衣は私のものです。どうか返してください』と頼みますが、白龍は『これは私が見つけたものです』と譲りません。美女は『それは天の羽衣。人間には不要なものです』と諭します。
すると白龍は『天の羽衣ですって?ではあなたは天女なのですね。それならばなおさらもったいない。国に天の宝としてお納めするとしよう』と頑なに断り続けます。
天女はどうしていいか分からなくなり『それがないと天に帰れないのです。どうかお返しください』と涙を流し蹲ります。
すると白龍も申し訳なくなり『わかりました、羽衣は返しましょう。ですが、私の願いを一つ聞いていただきたい。うわさに聞く天の舞を見せて下さらぬか』と条件を出しました。
天女は『わかりました。それで天に帰れるのでしたら喜んで舞いましょう。舞を舞うためには羽衣が必要です。先に返してください』と返します。
すると白龍は『羽衣を返したら舞を舞わずに帰ってしまうのではないか?騙されるものか』と疑います。天女は『虚実を扱うのは人だけです。天に嘘はありません』と力強く返します。
白龍は途端に自分が愚かしく感じ、羽衣を返しました。天女は頷き、舞を踊りながら天の彼方へと消えていきました。
こんな感じのお話です。日本各地に羽衣伝説が存在しますが、三保の伝説はあっさり解決しています。
他の場所ですと漁師が天女を騙して嫁にしたりと散々ですので白龍さんはまだマシな方ですね。
エレーヌの碑
羽衣の松の傍には『エレーヌの碑』と書かれた墓碑があります。
エレーヌ・ジュグラリス(1916-1951)
彼女はフランスの舞踏家でしたが、日本の能に魅せられ西洋で能『羽衣』の上演に情熱を注いだ人物です。
生涯を羽衣に奉げ、羽衣の衣装を纏ったまま舞台で倒れ、そのまま35歳の若さでこの世を去りました。
最後まで憧れを抱いたままついにたどり着く事の無かった三保の松原へは1951年、彼女の遺志を継いだ夫のマルセル氏が遺髪と能装束を携え訪れました。
戦後の暗い時代を過ごしていた三保の住民は遠いフランスの地で日本の伝統芸能に生涯を奉げた舞踏家の存在に感銘を受けました。
彼女の羽衣と三保を愛する心と功績を称えると共に、日仏文化交流の記念碑として羽衣の碑(エレーヌの碑)を建てました。
毎年10月の一週目に行われる『羽衣まつり』ではエレーヌ夫人への献花、羽衣の舞の奉納、そして能『羽衣』を三保の海岸に設置したステージで上演します。
日本新三景色の碑
1915年に【実業之日本社】主催で、日本三景にならった日本新三景の選定が当時の雑誌『婦人世界』の読者投票で行われました。
三保の松原が最多得票数で登録されたことからも、当時から国内での知名度は高かったものと窺えます。1922年に国の名勝に指定されました。
遊歩道→鎌ヶ崎(かまがさき)
海岸への階段を上り終えた左手側は遊歩道へつながっております。松林の道、海の道と分かれていますが、どちらも松林の間を歩く遊歩道です。
海の道はジェットコースターのようにうねった道になっていますので、車椅子の方等は松林の道がおすすめです。
片道10分の遊歩道沿いには様々な松が植えられています。種類も樹齢も様々、若い松もありますので見ていて飽きない風景です。
遊歩道の先は太平洋自転車道と合流します。この辺りを『鎌ヶ崎』と呼びます。鎌ヶ崎は多くの三保の松原の絵画が描かれたロケーション。
今は道路が舗装されてしまっている為当時と同じ景色とはいきませんが、正面から雄大な富士山を眺めることができる有数の富士山ビュースポットです。
海岸に降りることもできますので、波打ち際からの富士山を眺めることも可能です。
海岸からの富士山
富士山を見る一番のロケーションは、海岸波打ち際から左に振り返った方向です。三保の海岸は波が高く荒れやすいため、風の強い日はちょっと危険ですね。
駿河湾は浅瀬から一気に深くなる特徴がありますので、泳いだりしたら永遠に帰ってこれません。
遊泳禁止の表示はありませんが、松原の海岸では泳がないようお願いします。
三保の成り立ち
三保半島は安倍川からの土砂と有度山からの砂礫によって形成された砂嘴です。
正確な記録は残されていませんが、江戸の時代までは船で三保島に渡っていたと記録されています。
万葉集などに三保を詠んだ句が遺されていることから、平安時代から親しまれたとされ、天女伝説もその頃の時代の説が有力だそうです。
三保の松原入口にある御穂神社もその頃から存在していたと記事が遺されており、正確な創建年は不明ですが、1000年以上続く大変由緒ある神社とされております。
三保の松原の観光地化は都合の良いことばかりではなく、海岸浸食の問題や観光客増加により松の根が傷んだりと問題も多いです。
松喰い虫という松枯れの原因となる虫への対策、大量に落ちた松葉の活用手段がないかなど静岡市の学生を中心に研究も行われています。
三保の松原のイベント
羽衣まつり
毎年10月最初の土曜日に行われる三保の松原を代表する祭事。縁日などは出ず、エレーヌさんへの献花と海岸での薪能がメインイベントです。
雨が降ると外での薪能ができない為、ここ数年は毎回ホール開催になってしまっています。
新年は初日の出スポット
伊豆半島を一望する海岸は初日の出もバッチリ見えます!毎年たくさんの住民&観光客が三保の松原からのご来光を拝みに来ています。
三保の松原キャンドルナイト
毎年6月22日前後の土曜日には世界遺産登録記念事業として『三保の松原キャンドルナイト-あかりともるよる』が開催されています。
羽衣の松などのスポットが集まる三保の松原の中心区域の松の周りに、地元の方々が願いを込めて作成したたくさんのキャンドルが並べられます。
スポット情報
スポット名 | 三保の松原 |
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住所 | 〒424-0901 静岡市清水区三保 |
連絡先 | 054-221-1019 |
駐車場 | あり |
アクセス | 清水駅より静鉄バス三保山手線 三保の松原入口下車 徒歩10分 |