清水に伝わる為朝伝説
昨年からアニメ化されたり、大河ドラマに名前だけ出たり、今月は某ソシャゲに実装されたりと、いまなにかと話題の武将・源為朝。
静岡市清水区も実は為朝と関係深いスポットがあり、伝説や言い伝えも多く遺されています。とはいえ一部地域に伝わる内容が多く、ほぼ観光資源化はされていません。
当記事では清水と源為朝に纏わる様々な伝説などをまとめました。あくまで郷土史の逸話としてお楽しみいただければ幸いです。
清水と源為朝
源為朝が保元の乱で敗れ、死刑は免れるも伊豆大島への流刑となった際、京から護送され、伊豆への船を待つ数日間を過ごしたのが当時の清水とされています。
その際の記録や言い伝えから、いくつかの為朝伝説が清水にも残っている訳です。
伝染病の流行から広がった神格化
為朝伝説という言葉は二つの枠組みに分かれ、保元物語を中心に軍記物のヒーロー・ストーリーの主人公としての史実・創作入り混じった逸話がひとつ。
もう一つはそのストーリーも含め、清水以外にも各地に残る為朝所縁の場所や物に肖って、疫病を打ち倒す存在としての神格化に分かれています。
江戸時代、伝染病である疱瘡(天然痘)の流行に伴い、早く治るようにと念を込めた護符代わりの絵画【疱瘡絵】が売られていました。
疱瘡が本土で大流行していた際も、為朝に所縁深い八丈島には全く患った者が居なかったと囁かれ、為朝が鬼(疱瘡神)を退治したからだと、為朝の疱瘡絵が人気に。
その後、七代将軍・徳川家継が為朝神社の護符で回復したと伝えられたこともあり、【疱瘡・厄除けの神 為朝大明神】として江戸中心に信仰が広がっていったそうです。
そして清水では
清水に滞在していた為朝が、世話になった稲荷神社に奉納した、【源氏の象徴を施した編笠】が形見として残されています。
疱瘡の"瘡"と笠が同音であることから、為朝の編笠をかぶると疱瘡に効くとされ、その笠を守る【月見里笠森稲荷神社】として疱瘡除けの信仰を受けました。
同じころ、京から移住してきた人形師・堀尾市郎右衛門が為朝の首人形・似肖像(あやかりく)を作り、江尻宿の名物として人気を集めていました。
いつしか編笠信仰と共に、似肖像に祈ることで願いが叶う・枕元に似肖像を刺すと子の疫病が祓われるなどの信仰も発生。
願いがかなった後は月見里稲荷に奉納する習慣もできました。今も郷土の民芸品【いちろんさんのデッコロボー】として残っています。
清水の源為朝スポット
月見里笠森稲荷神社
上記で紹介したように様々な信仰の場所となった月見里笠森稲荷神社。写真右の看板に、為朝が奉納した編笠と石の印章について紹介されています。
また創建自体は5世紀頃と歴史ある神社なのですが、以前は名前が違い、滞在していた為朝によって【月見里】の名が付けられた説もあります。
『この地から伊豆までは(ずっと海なので)山が無く、よく月が見える里だ』と語り、【月見里と書いてやまなし】の名を名乗るよう告げたとのことです。
今でも月見里姓の住民が数える程の世帯数ですがおり、およそ半数が清水区に住んでいるそう。千葉と神奈川にも分布していますが、全国で250人程しかいないのだとか。
場所 | 月見里笠森稲荷神社 |
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住所 | 〒424-0931 静岡市清水区岡町9-462 |
アクセス | 桜ヶ丘バス停より徒歩5分 |
いちろんさん
堀尾市郎右衛門の名から取った屋号・いちろんさん。デッコロボーを販売していたまさにそのお店なのですが、現在は青果店として営業されており人形は売っていません。
ちびまる子ちゃんの作者・故さくらももこ先生の実家のすぐ傍にあり、原作で八百屋が実家と語られていたことで、こちらが実家だと勘違いされがちとの話も。
ちなみに『いちろんさんのデッコロボー』の"デッコロボー"は、首人形が土泥製であることから『泥像の坊(でくのぼう)』が訛った説。
そして最強の武者でありながら流人となった為朝を『不遇の坊』と称した説が混ざって呼ばれた愛称とされています。
場所 | いちろんさん |
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住所 | 〒424-0831 静岡市清水区入江2丁目1-9 |
アクセス | 静鉄入江岡駅より徒歩5分 |
矢通り(八通り)
清水区美濃輪町にある次郎長生家と、次郎長の菩提寺・梅蔭禅寺の辺りまでを結ぶ道を、この辺りの住民は『矢通り(やとおり)』と呼んでいます。
為朝が伊豆への船出前、最後の思い出にと弓矢を所望し、それを空へと放ったところ真っすぐに見えなくなるほど遠くへ飛んで行ったとのこと。
当時は砂州でしたが後に平地となり、為朝の矢が通ったことから『矢通り』もしくは鎮西八郎為朝の名から『八通り』と呼ばれ出したとのことです。
遠くの巴川まで飛んで行った、空に放ったのに波を切るように飛んで行った、弓が持てないように肘を外されていたのに意にも留めなかったなど様々な逸話があります。
場所 | 矢通り |
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住所 | |
アクセス | 北矢部バス停より徒歩5分 |
下清水八幡神社
月見里稲荷から少し離れた、こちらも梶原景時など所縁の由緒ある神社。月見里稲荷同様に編笠と印章を奉納された言い伝えや、この地の前から船が出た説等もあるそう。
とはいえ月見里稲荷よりも正確な情報や語られた内容は少なく、言い伝えの中で場所が近かったことで混ざってしまった可能性や、どちらにも寄っていた節と様々です。
場所 | 下清水八幡神社 |
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住所 | 〒424-0931 静岡市清水区岡町2-3 |
アクセス | 八分団前バス停より徒歩3分 |
為朝の墓
源為朝の最後の地の所説は数多くあり、清水区三保の為朝の墓もその一つ。こちらの説は、伊豆に向かう途中嵐にあった為朝は清水に戻り、三保で生涯を過ごしたとの話。
史実と言うか、多くの話の中では伊豆半島で大暴れの後のエピソードもあるので、それとはまったく繋がらないのですが、伝説な以上そういうところもありますからね。
この言い伝えでは、清水に戻った為朝は墓があるこの家に住んでいた白縫姫と結婚し、家と三保の地を守りながら生きたとされています。
白縫姫は伝奇物語・椿説弓張月に登場する為朝の正室の名前でもありますね。本当の話は為朝本人のみぞ知ることでしょう。
場所 | 為朝の墓 |
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住所 | 〒424-0901 静岡市清水区三保3090 |
アクセス | 三保車庫前バス停より徒歩5分 |
編集後記
ピックアップも残り1週間を切った...。毎日1回ずつ召喚して為朝が来たら記事を書こうと思ってたけど間に合いそうにない。でも貯めて来た石をこの為だけに使うのは...。
はい、44連で何とか出ました。石も呼符もすべて消えましたが、貯めて来たのはこのためとも言えますから(為朝だけに)問題ないでしょう。
まとめた通り、清水の内容も含めて為朝は伝説として残っている内容が多く、それが事実とはっきり言える文献や資料は殆ど残っていません。
日本各地にも、このように言い伝えや、為朝の力自慢エピソードがもとになった地名など、一部だけに伝わる話が沢山あるかもしれませんね。
当記事のスポットは現地に案内板などがある訳でもないので、回っても楽しいかは分かりませんが、為朝ファンの方は是非機会があれば立ち寄ってみて下さい!