静岡市観光&グルメブログ『みなと町でも桜は咲くら』

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『ぶらり旧東海道』庵原川~江尻宿~草薙の辺りを周ってみた

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水中央図書館入口に展示中の『東海道分間延絵図』旧東海道の清水の辺りを現在の写真と比較しながら紹介する清水の郷土史研究会の発表に写真提供で協力したのですが、結構渡したはずが数枚しか使われておらずショックでした。せっかくですので、使われなかった写真供養として撮影で周った旧東海道を紹介していきます。

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東海道分間延絵図展示

『東海道分間延絵図』は1806年に江戸幕府が道中奉行所に作らせた詳細な絵地図です。正式には五街道と関連する街道の絵地図をまとめた『五街道分間延絵図』のひとつで、東海道だけで全13巻あるそうです。今回はその中で現在の横砂西町にある庵原川から、現在の草薙運動場の手前までの旧東海道を周りました。記事の最後に地図を載せておりますので地図を開きながら読んだ方が分かりやすいと思います。

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庵原川

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庵原川

水区伊佐布の高山を源流に清水区庵原の町中を通り、清水JCTの辺りで山切川と合流、そのまま袖師の辺りで駿河湾に繋がる6.7kmの二級河川、いはらがわと読みます。ここをスタートに選んだ理由は絵図の端がここだっただけなので、特に旧東海道と密接な何かが遺されているわけではありませんが、絵図にもしっかり描かれています。

旧東海道松並木の松

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松並木の松

水区横砂には一葉松の伝説などがあります。こちらの一本松自体がその伝説と関りがあるわけでは無いのですが、この辺りにあった松並木の名残りとして大事にされているようです。幹に『袖師ふるさとの路 12 旧東海道松並木の松』というプレートが巻かれていました。

袖師の交差点

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袖師の交差点

ックマーケットエーツーが目印の袖師の交差点。特に旧東海道に纏わる何かがあるわけでは無いですが、現在の清水において特徴的な場所の写真も撮っております。

細井の松原

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細井の松原

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目印の石柱

こまでは現在の東海道を進んでいましたが、辻町の交差点、旧東海道の道に分岐する分かれ道にある一本松です。慶長六年(1601年)、徳川家康は東海道五十三次の宿場を制定し、江尻宿場が設置されました。1604年に二代将軍の秀忠が江戸に通ずる主要街道の大改修を行い、江戸防備と旅人に安らかな旅ができるようにと、工事奉行に松の木を植えさせ、1612年に完成したのが細井の松原です。206本の松が植えられていたと記録されており、松原せんべいなど名物を売る茶店もあったと伝えられています。当時の松は1944年の戦中、松根油採取の為に伐採されてしまい、何も残っていません。現在の一本松は1992年に清水の青年会議所から寄贈され植樹された細井の松原を語り継ぐための記念の松になります。2枚目の写真は旧東海道の宿場町の関連スポットに設置されている石柱です。今回のぶらりでもいくつか発見しました。

本郷町の旧家

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蔵持の旧家

尻宿はかなり大きな宿駅だったそうで、総家数は1340軒だったと記録されているそうです。道沿いに蔵のある古い家が見えます。こちらは本郷町の旧家として旧東海道を紹介するパンフレットなどでも紹介されている、当時から存在する家です。車が停まってましたが普通に住んでるのかな?

漢方薬の荷居屋

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漢方薬の荷居屋

なりに進むと『漢方薬の荷居屋』の看板が。静岡の人間には馴染みの深いお店です。現在は見なくなりましたが、ゼロ年代まではしきりに放送されていたローカルCMで、音も画質も荒い映像で、おじいさんが漢方薬を作るシーンが流れるCMを放送開始からずっと変えずに長期にわたって流していたそうで、映像のお爺さんはとっくに亡くなってしまったようですが、静岡県民の心の中に生き続けています。と旧東海道には全く関係ないのですが、ここも現在のルートの目印になる特徴的なお店ですね。

清水銀座(江尻宿)

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清水銀座

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目印

なりに進むと清水銀座にぶつかります。池田屋カバン店を目印に右に曲がり清水銀座を通っていきます。丁度曲がるあたりが旧東海道の江尻宿だったと言われており、ここにも目印の石柱が建っています。このまま真っ直ぐ進み、突き当りの五差路を左へ曲がります。

稚児橋

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稚児橋

前の巴川と橋シリーズでも紹介した巴川に架かる橋の一つで、最も古い橋です。といっても完工が1611年なので、東海道分間延絵図が描かれた際にはまだ完成していませんでした。ほぼ同じ時代で同じように徳川家康の命で架けられた橋なので、その後の旧東海道の関連スポットとしては重要な場所になります。河童伝説の人気は当時の方があったかもしれませんね。現在の橋自体は架けなおされているので新しいです。

いちろんさん

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いちろんさん

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でっころぼう

『でっころぼう』という竹串に土製の首人形を付けた清水の郷土玩具を作っていたお店。現在は『堀尾青果店』という果物屋ですが、数年前までは右側にある工房ででっころぼうを作っていたそうです。首人形は東海地方ではここだけの文化だそうです。いちろんさんのでっころぼうは江戸時代から始まり、子供の生育を祈願して奉納されていましたが、夜泣きの虫封じのまじないとして庶民の間にも広がっていったとのこと。あまりいい意味で使われない泥像の坊(でくのぼう)が訛った言葉な為、そのままいちろんさんの首人形とも呼ばれていました。首人形の数は全部で51種類、牛若丸、おかめ、般若、ねこなどの他、稚児橋の河童の首が付けられた首人形もあったそうです。2003年のぶらり途中下車の旅静岡鉄道編で紹介されました。

江尻宿木戸跡

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江尻宿木戸跡

尻宿の木戸跡。西木戸だそうです。『木戸』というのは地名では無く、街道の分岐点など交通の要所に置かれた見張り所。といっても関所のように厳しいチェックをする場所では無く、昼間の通行人を調べたりはせず夜間に閉めて見張りを置く防犯施設のようなものだったそうです。宿場町の玄関ですね。西木戸が京側、東木戸が江戸側って感じで必ず二つありました。

追分羊かん本店(追分道標石碑)

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追分羊かん本店と追分道標

駿河三大名物の一つ『追分羊かん』地元の人でも若い世代はそこまで有名なものとは露も思わずな感じですが、1695年創業、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』の話中でも語られた老舗です。まあスイーツが当たり前に買えるこの時代では羊羹が旅人イチオシの名物って想像しにくいものかもしれませんけども。徳川慶喜公も大好物だったと記録されています。
本店の手前には『追分道標』という石碑があります。こちらは正面に『是より志ミづ道』左には『南妙法蓮華経』と彫られています。ざっくり説明すると港に向かう道なのですが、現在の道筋で歩くと結構かくかくした感じに。これはまた別の記事で紹介しますね。

金谷橋(元追分)

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金谷橋と元追分の石柱

こにも旧東海道の石柱『元追分』その先に小さな『金谷橋』があります。金谷橋に建てられた看板には『追分と金谷橋の今昔』の題で『昔からこのあたりは、東海道と清水湊への道『志ミづ道』の分岐点であることから『追分』と呼ばれていた。周囲には数軒の家が並び、街道の両際は松並木が続き、その外側には田んぼが広がり遠くには富士山が望めた。往来の旅人は土橋であった金谷橋を渡ったが重い荷物を運搬する牛馬は橋横の土手を下り渡川して土手に上り街道に合流した、古来、牛道と言われた名残を今にとどめている東海道の史跡である。』と書かれています。追分と言うのは、当時の言葉で三差路のことを表してるらしく、清水港へ向かう志ミず道と、江尻にあった港へ向かう道(今は区画整備で消失)との三差路だった為、追分と呼ばれてたそうですが、徳川家康の名で東海道が作られると、今の大曲の交差点が三差路になった為に追分と呼ばれ、四差路になった追分は元追分と呼ばれるようになったとのこと。結局埋められて今は三差路な訳ですけど。現在の追分の地名も元追分の場所でもなければ、"新"追分だった大曲の辺りでもない、真ん中の辺りが呼ばれていますね。

姥ヶ池

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姥ヶ池

東海道の道なりからは50m程離れますが、住宅街にの社の前に唐突に古びた赤鳥居の古びた池があります。こちらは東海道の歴史よりも更に昔、1200年前から存在する『姥ヶ池伝説』の地です。1200年前、この池の辺りに金谷長者というお金持ちが住んでいました。男の子を授かりましたが、ある年にひどい咳が流行して、その子も患ってしまいました。姥(乳母)はこの池辺の弁財天に祈願して男の子の代わりに池に入水して死にました。これにより男の子の病はよくなりました。金谷長者は姥に感謝して池のふちに社を建て霊を祭りますと、池の底から泡が出始めました。この池のほとりに立って『姥かいな』と呼べば、それに答えるかのように泡が出て寂しく消えていくようになりました。それからは姥ヶ池と呼ばれ、ひどい咳に苦しむ子供たちがこの社にお祈りするとたちまち治ると言い伝えられました。東海道を旅する人々は立ち寄ってお参りをしたそうです。

追分踏切

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追分踏切

こまで旧東海道の関連スポットが続きましたが、こちらは現代の特徴的なスポット。追分踏切は清水の開かずの踏切と呼ばれています。JRの清水駅と草薙駅の中心であり、静岡鉄道桜橋駅と狐ヶ崎駅の中心でもあるこの踏切は、時間にも寄りますが上りの静鉄が通って~上りのJRが通って~下りの静鉄が通って~下りのJRが通って~また上りの静鉄が通って~と一向に安全バーが上がりません。道自体がそんなに広くないので両車線渋滞になっている光景も珍しくありません。

久能寺観音道の道標

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久能寺観音道の道標

永7年(1778年)に建てられた道標。ここから有東坂、今泉、船越、矢部、妙音寺、久能寺と有度山麓を通る道を『久能寺観音道』と呼んだそうです。ここでいう久能寺は現在の鉄舟寺のことですが、久能寺はもともと久能山にあったものを武田信玄が駿河の国の侵略の際に久能城を建てた為1575年には現在の位置に移築されており、1778年の久能寺観音道も久能山までは行かず、現在の鉄舟寺までのルートで合っています。絶妙に紛らわしい。江戸時代後期には久能寺は衰退し、明治に入ると住職が居ない寺となり荒廃していましたが、山岡鉄舟により復興され、寺号も鉄舟寺に改められました。

上原堤

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上原堤

在のイオン清水店、かつてのジャスコ、更に前は遊園地『狐ヶ崎ヤングランド』の裏にある大きな溜め池。上原堤はうえはらつつみと読みます。ヤングランドがあった頃は、遊園地内のアトラクションとしてボート遊び用に使用していたとのことで、周囲には喫茶店などもあり家族連れでにぎわっていたそうですが、現在は桜の季節のお花見や釣り人が来る程度の模様です。と、旧東海道にはあまり関係のない近代スポットのような気がしてきますが、上原堤は別名『宗丹池』戦国大名の嚆矢、北条早雲が今川氏に仕えていた時に作った農業用のため池だったそうで、早雲の名前から宗丹池と呼ばれたとのことです。つまりここも500年以上の歴史があるスポットなのですね。

一里塚

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一里塚

大なたぬきが目印の一里塚跡。たぬきの隣の石碑には一里塚の由来『一里塚は徳川幕府より慶長九年、大久保長安を一里塚奉公に命じ一里を三十六町と定め、東海道・中山道に一里塚を築いた。東海道は江戸、日本橋を起点に京都までの百二十里の道の両側に松並木を植え、一里毎に塚を築きここに榎を植え目印とした。 草薙一里塚は江戸より四十三里の処で四十三番目の塚です。道を挟んで南塚が在り一対となって居た。塚は五間、四方高さ一間と大きなもので塚の脇には高札所があり、榎の大木の枝が繁り街道往来の大名の参勤・飛脚・旅人の道しるべ、休憩所等と成って居た。 榎の木陰で旅の疲れを癒した旅人達が「府中(駿府、今の静岡市)二里半あと一息だ、頑張ろう」と道中合羽に三度笠、振り分け荷物を肩に旅立つ姿が偲ばれます。』と書かれています。たぬきの由来は?となりの看板曰く、狸八相縁起という縁起ものだそうです。初めて見る人はびっくりしそう。

草薙神社 大鳥居

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草薙神社 大鳥居

本武尊、草薙剣の神話が伝わる草薙神社の大鳥居。高さ12m程、境内までは1.1km。草薙神社の創建は1860年以上前、境内のご神木は樹齢1000年を超えるなどと今回辿った歴史スポットともけた違いに古の場所になりますね。草薙神社もまた別の記事で紹介します。今回はここまで!ルートは7kmほど、徒歩でも1時間半ほどで周れるので、当時の景色を思いながらゆっくり歩いてみるのも楽しそうです。

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ぶらり旧東海道マップ

清水中央図書館

展示の開催期間は未定。当記事とは内容的には別物ですので良かったら。

施設名 清水中央図書館
住所 〒424-0839 静岡県静岡市清水区入江岡町15−23
連絡先 054-354-1331
駐車場 あり(無料駐車場は1時間まで)
定休日 祝日の次の平日 第2月曜日 第4水曜日 年末年始 資料点検による休館期間
営業時間 平日 9:30~19:00 土日祝 9:30~17:00
サイト http://www.toshokan.city.shizuoka.jp/?page_id=93