下流から登る巴川橋巡り
巴川は静岡市葵区の麻機地区を源流に、清水区日の出町の羽衣橋まで市内を横断する二級河川。全長は17.98km、流域面積は94.02 km²。
戦国時代から近世に至るまで、市街地から清水港への水路として様々な生活・軍事に利用された、人々にとって欠かせない存在だったそうです。
今回は源流ではなく河口から、清水区内の巴川とそこに架かる橋の写真を撮りながら歩いて上っていきます。目的地は河口から12番目の橋『稚児橋』です!
※当記事は2017年に連載しました【巴川と橋】の記事のリライト・まとめ記事となります。 写真はすべて2017年時点のものになります。
上る巴川・羽衣橋から稚児橋まで
①天女が舞う『羽衣橋』
巴川の河口、清水港・三保半島内海との境界にある橋。完工は1992年と巴川に架かる橋の中では2番目に新しいです。
国道149号線と150号線を結ぶ交通の要所となっている為、これから紹介する橋の中でも最も大きく頑丈な作りになっています。
緩いアーチ状ですが、自転車で通る際は意外に力が必要な絶妙な斜度。橋長は84mでそう長くもないですが、幅が広いので大きく感じます。
橋の建造と共に設置されたらしい天女像は両車線に1体ずつ別ポーズで、三保側の天女は天を仰ぐように反り立っています。
橋から見える河口の先、工場群は三保の塚間と船舶製造のカナサシ重工。
かつて清水駅と三保を結ぶ国鉄『清水港線』が走っていた頃、この写真の羽衣橋と並行して、すぐ前の部分に巴川可動橋が架かっていたそうです。
また昭和初期の時代、同じ『羽衣橋』の名前で塚間と現在の羽衣橋を三保側に渡った先の辺りとを繋ぐ、長い木造の橋が通っていたのだとか。
②常念川の合流地点『清開橋』
清開橋は巴川と常念川が合流する地点に架かる1999年完工の短い橋です。常念川は南矢部にある『所川提(貯水場)』とから流れる細い川で清水区内を通っています。
巴川とは常念川水門を挟んで繋がっており、隣接した水門は巨大地震で振動や水量が規定値を上回った際に自動で閉まる仕組みなのだとか。
2019年10月12日の台風19号では、この常念川が氾濫し、川沿いの広い範囲で浸水被害が出ました。巴川に比べて浅いので洪水時は氾濫しやすい作りですね...。
③かつての清水港『港橋』
羽衣橋に続いて2本目の巴川に架かる橋。清水港界隈での橋間距離は羽衣橋と港橋の間が一番長いです。1879年完工、明治時代からあります。
巴川沿い下流から右方向(写真の奥側)がドリームプラザなどの港。左(写真手前側)が次郎長通り商店街への方向になります。
現在の港湾地区は埋め地で、初めに清水港と呼ばれていたのは、この港橋の辺りだったそうです。灯台のモニュメントが付いていますが、当時灯台があった訳では無いとのこと。
港橋の名前の由来には『単純に港があったから』『地域の火消しが港会という名前だったから』など諸説ありますが定かではありません。
高欄には碇とカモメのマークが描かれています。色合いが港の作業用クレーンと同じなのでイメージしているのかもしれません。
歩道部分は狭め。かつては港橋から清水駅の先辺りまでを静岡鉄道の路面電車が走っていたそうです。
④今は見えない富士の絶景『富士見橋』
1885年完工、富士見町にある高欄のない石橋にガードレールが付いた橋。港界隈の橋で2番目に古く、木製橋の時代からも何度も架け直されています。
交通の利便性の為に架けられた普通の橋なので特徴もありませんが、2016年までは毎年6月のお祭り『お水神さん』にて、花火を打ち上げる橋として知られていました。
当時の漢字は『不二見橋』だった模様。赤丸をした部分に富士山が見えています。木造橋の為か、今よりも低く感じますね。
⑤モダンな街灯が特徴『八千代橋』
1998年完工。巴川港界隈に架かる橋の中で最も新しい橋です。橋自体は羽衣橋よりは小さいですが、歩道の道幅が大きく現代的なデザイン。
『港町の港橋』や『富士見町の富士見橋』と違って、こちらの橋も富士見町にあり、渡った先も八千代町ではありません。清水区八千代町は別にあるのでややこしいですね。
複数の電球が付いたみなと町らしいモダンな街灯が目印。夜になると点灯しますが、よく切れていて一部しか点いていない日も多いです。
富士見橋と八千代橋の橋間はほぼ住宅街で、今回の進行方向からして左側の川沿いにはお店もありませんが、反対側には水神社(お水神さん)があります。
八千代橋から見る富士見橋は静岡のご当地アイドル『ROSARIO+CROSS』の『カサナール』という曲のPVにも登場してました。
⑥石橋を叩いて渡る『萬世橋』
1897年完工。上(かみ)一丁目と万世(まんせい)町を繋ぐ古い石橋。現在の橋は1935年に架け替えられたものです。町名はまんせいですが、萬世はよろづよと読みます。
現代では珍しい石橋、年に一度行われる点検ではハンマーで橋を叩くことで、ヒビなの調査をするそう。まさに石橋を叩いて渡ってるのでした。(意味は違いますが)
明治中期頃、清水の町中と向島を繋ぐ橋は港橋と富士見橋しかなく、上一丁目の住人が不便に感じ、町長に橋を架けるよう陳情しました。
東海道鉄道が開通し清水の町と向島江尻の町の交流・交通も盛んになっていたことから、町長は県の補助を受けて町を繋ぐ新道として橋を建てることができたそうです。
⑦みなと町の中心街『千歳橋』
1958年完工。県道407号静岡草薙清水線、通称『南幹線』と呼ばれている道の終点で交通量が多く、清水区役所や新清水駅が徒歩圏と、みなと町の中心に架かる橋です。
橋の上に駐車場があり、この辺り最安値の1時間100円(38台 1日最大800円)なのもあって結構混んでいます。こちらも高欄のデザインなどは特にありません。
⑧頭の上を電車が通過『静鉄橋梁』
新清水駅と新静岡駅を結ぶ『静岡鉄道』が通る橋梁。すぐ傍が駅なのですぐこちらの橋を通っていきますが、出発直後なのでスピードは出ていません。
けた下が1.8mと低めで、自転車で走り抜けるのには躊躇します。頭の高い車も通れません。橋の下が吹き抜けになっており、電車の通過を手を伸ばせば届く距離で見れます。
深夜作業終わらないのにどうしようもない動画ネタ浮かんで時間を無駄にしてしまうζζ pic.twitter.com/TFDUw0sk6l
— 葵桜玖耶 (Aoi Sakuya)@静岡市グルメライター (@sakuyaoi) September 30, 2019
⑨自転車要注意・恐怖の1.6m『JR橋梁』
こちらも鉄道橋梁、JR東海の清水駅から草薙駅へ向かう途中に通ります。
けた下1.6mと静鉄橋梁よりさらに低く、1.8mが通れた軽自動車でもこちらは厳しいと思います。自転車で通り抜けようとして頭をぶつける事故が毎年数件起こってるそう。
現在の橋の完工は国鉄民営化直前の1986年ですが、それ以前からあったそうです。アニメちびまる子ちゃんにも登場していますが、以前はジグザグの形(トラス橋)では無かったそう。
情報を頂き、地図・空中写真閲覧サービス(引用可)から比較。
— 葵桜玖耶 (Aoi Sakuya)@静岡市グルメライター (@sakuyaoi) October 15, 2019
1枚目 1983年10月https://t.co/9dAcWTuUZi
2枚目 1988年10月https://t.co/T0o1UMBGHn
2枚目にはしっかり現在のジグザグが影で映っていますが、現在の橋が完工した1986年以前の1枚目では静鉄と同じような橋梁になっていますζζ pic.twitter.com/Cl45xiFVmR
⑩大正生まれ・文字通り『大正橋』
1925年完工。JR橋梁を撮る際に渡っている、大正生まれの文字通りの名前・大正橋です。JR橋梁とは15m程しか離れていません。
道は交互2車線なのですが、大きい車がすれ違いするにはギリギリの幅です。しっかりとした歩道部分が車道を狭めてしまっていますね。
⑪柳の木が並ぶ道の先『柳橋』
1929年完工。柳の木が並ぶ道の先にある、柳を模したモニュメント付きの橋。柳橋が先にできて柳を植えたのか、柳の木があったから柳橋なのかは定かではありません。
千歳橋と同じく右側は駐車場になっています。料金も同じですが、こちらは清水銀座の利用に便利なくらいで、利用数は千歳橋に比べると少ないです。
⑫清水の河童伝説『稚児橋』
1611年完工。巴川を象徴する橋として知名度が高く、河童伝説が根付いた地であり、巴川=河童のイメージも稚児橋から浸透しています。
古くからある稚児橋は他の橋と比べ短く、ここだけ川幅が狭くなっていました。水害の多い巴川を塞き止めてしまう為、1996年から架け替え工事が行われ、2001年に現在の姿になったそうです。
四隅の親柱に一体ずつポーズの違う河童が設置されています。もともとあったとも言われていますが、現在の像は2001年に橋がかけ替えられると共に作り直されたものです。
稚児橋(河童橋)の伝説は下記の通り
慶徳12年(1607年)徳川家康の命により、東海道五十三次沿いの巴川に橋が架けられ、江尻の宿にちなんで江尻橋と命名されることとなり、渡り初めの日となった。
さて儀式に先がけて、かねて選ばれていた若夫婦がまさに橋に足をかけようとした瞬間、川の中から一人の童子が現れたとみるやするすると橋脚を登り忽然と入江方面へ消えさった。
渡り初めに集まっていた人たちは、あまりに突然のこととてあっけにとられたが、このことから橋名を江尻橋から童子変じて稚児橋と名付けたといわれている。
なおその不思議な童子は巴川に住む河童だったとも語り継がれている。清水の名物、いちろんさんのでっころぼう人形の中に河童がいるのはこの伝説による。
稚児橋を周辺に、周辺のお店でも河童をイメージした商品や飾り付けがされており、特に伝説が根付いた町となっています。
まとめ
今回歩いた範囲は2.5km程。巴川自体が約18kmあり、通れる道を遠回りして進めば更に長いので、完全踏破は至難の業ですね。
各橋に歴史や文化があり、橋下に記載された情報などから調べるのも面白いので、是非この先が気になる方は、自身の足で歩いてみてください!
橋の周辺のグルメなども周りつつ、街歩きを楽しんでくださいね!