静岡市観光&グルメブログ『みなと町でも桜は咲くら』

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『梶原景時の変と静岡市』市内の関連スポットまとめ【鎌倉殿の13人】

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市内各所に遺る
梶原景時関連スポット

いに今週末の『鎌倉殿の13人』で"梶原景時の変"が描かれるということで、その最後の舞台である梶原山をはじめ、静岡市内各所の関連スポットをまとめてみました。

観光地化まではされていませんが、各所地元では大事に扱われており、供養塔や様々な所縁の史跡などが残されています。

※追記。まさかの清水編全カット。ナレーションも無く紀行死を遂げるとは...清水ではよく知られた偉人の最期の足掻きを見たかった...。

梶原景時の変関連スポット

清見ヶ関・清見寺の血天井

へ向かっていた梶原景時ほか一族が、報告を受けていた地元武士に見つかり、戦いが始まった当時の関所。清見寺の駐車場横に清見ヶ関跡の看板だけ立っています。

清見寺の山門前

訪問時公開されて無かった為写真はありませんが、清見寺の大玄関の天井は【血天井】と呼ばれており、かつて清見ヶ関の柵だったものを使って作られたものだそうです。

清見ヶ関で合戦が始まり、梶原一族たちの斬り合いによって飛んだ血が柵に点きました。それを綺麗に洗い、理由は不明ですが変の後も長年保管されていたそうです。

天井は徳川家康の時代に、保管されていた柵を再利用して作られたのですが、完成後すぐ血が滴ったような模様が浮かび上がったそうです。

それが時代を超えてなお残る梶原一族の怨念だということで、血天井と呼ばれるようになったそう。実物を見たことは無いのですが、地元では有名な逸話ですね。

場所 清見寺
住所 〒424-0206 静岡市清水区興津清見寺町418-1

矢射タム橋(瀬名川橋)

瀬名川橋

区瀬名川、長尾川の年中殆ど水の無いエリアに架かる橋。こちらは梶原景時の変の記録の中で【矢射タム橋(やいたんばし)】と呼ばれた橋の跡地です。

大内で景茂が討ち取られ、一族の殿によって逃がされた西へ向かった景時が、この橋で待ち構えていた数十名の武士と矢を射ちあった場所とのこと。

近くに碑もあり、最近解説のボードが設置されたそうなのでまた追記します。関係ありませんが富士山が結構綺麗に撮れます。

場所 瀬名川橋
住所 静岡市葵区瀬名川

矢崎 梶原堂・梶原景時の祠

矢崎

崎(現在の清水区鳥坂と大内の境界)は最期の合戦の場とされており、景時軍はこの地でほぼ全滅、景時は自刃の為にここから梶原山へと登ったとされています。

住所的に矢崎という地名は現在ありませんが、交差点やバス停・建物の名前などに使用されています。

梶原景時ゆかりの地の看板

矢崎の交差点からほど近い、梶原山へ向かう道よりも手前の住宅街にある【梶原堂】石垣の上に『梶原景時ゆかりの地』の看板が設置されていました。

梶原堂

もとは1360年、景時の八代の孫・梶原景慶によって、景時を本尊とし一族を祀る為の寺として【梶原山龍泉院】が建てられたとのこと。

1822年に龍泉院が火災で全焼してしまいましたが、梶原一族の位牌と観音像は無事回収され、梶原家と縁故あった上杉家によって御堂が建てられました。

当時は矢崎山にありましたが、1962年に現在の場所へ移転されています。お堂の右にあるお墓は、梶原景時・景季・景高のものとのこと。現在は形が崩れてしまっています。

場所 梶原堂
住所 〒424-0061 静岡市清水区大内841-64

梶原山・梶原景時終焉之地

梶原景時終焉之地

原景時終焉之地の碑と供養塔が立った、標高300mの静岡市を見渡す山頂。【梶原絶頂】とも呼ばれています。

山頂の草の上に座った景時は『もののふの かくこもかかるときにこそ 心の知らぬ 名のみおしけれ』と辞世の句を遺し、三人は共に自害しました。

☟梶原山についてはこちらの記事で詳しく紹介しているのでよかったら☟

『梶原山公園』景時終焉の地と静岡を一望する花見&夜景名所! - 静岡市観光&グルメブログ『みなと町でも桜は咲くら』

市内を見渡す景勝地です

富士山が見えたかはわかりませんが、街並みと駿河湾まで一望するこの絶景を最期の地に選んだのは格好良いですね。現在も景勝地として人気スポットとなっています。

場所 梶原山公園(山頂)
住所 〒420-0903 静岡市葵区長尾1134-102

【梶原山公園】静岡市一望の名所と梶原景時終焉の地【4K】 - YouTube

髷水と駒喰い笹

竹林の中に

原山山頂へ向かう駐車場より降りることのできる竹林の中に、二つの案内板が設置されています。一つは景時が自害を前に顔を洗い喉を潤したとされる池の跡【鬢水】

もう一つは景時の乗馬『磨墨』が食い千切った笹の葉が梶原氏の家紋の形になり、以後その歯形のように枯れたという逸話の【駒喰い笹】です。

高源寺・梶原一族の供養碑

高源寺

水区高橋、臨済宗妙心寺派のお寺・高源寺さん。

梶原景時の変で討ち死にした一族郎党の首がこのお寺の近くの街道すじに並べられ、後にそこに建てられた供養碑が、現在は高源寺さんの境内に移されています。

梶原景時の命日である1月20日前後には、毎年供養祭が行われているとのことです。

梶原一族の供養碑

正面が梶原一族の供養碑。『不尽乾坤燈外燈龍没』と刻まれています。

右には案内板と、【うなり地蔵】と呼ばれるお地蔵様。梶原一族の忠僕だった武士がこの地を訪れ、主君が居ないことに悲しみながら病に倒れて亡くなってしまったそう。

当時の村人が哀れに思い弔ったものの、夜な夜な墓から唸り声がしたため、地蔵を立てて供養したとのことです。

彫刻【梶原一族の勇姿】下山昇氏作

磨墨に乗る梶原景時と、息子たち・一族郎党を描いた彫刻も設置されています。

場所 高源寺
住所 〒424-0041 静岡市清水区高橋2丁目7-4

吉川氏の墳墓

吉川氏の墳墓

1943年に、吉川経義没後750年を記念して子孫の吉川子爵家が建てた墳墓。梶原景時の変に関係しているのは景時三男・梶原景茂を討った二代・吉川友兼ですね。

吉川経義が源頼朝より駿河国吉河荘(現在の清水区)を与えられて以降、一族は様々な武勇でこの地に住む人々に神聖視されていたそうです。

場所 吉川氏の墳墓
住所 〒424-0055 静岡市清水区吉川909

下清水八幡神社

下清水八幡神社

西暦663年頃に住吉神社として創建され、当時の港を前にした立地から、後に船玉神社として船乗りをはじめとした信徒に愛された神社です。

1185年頃のまだ源頼朝が存命の折、船で清水に来た景時が鶴岡八幡の金幣を奉納、八幡大神を勧請し、現在の名の基となった"八幡神社"に改名したとされています。

現代も航海安全・豊漁祈願・水難守護などのご利益がある神社として愛されています。

場所 下清水八幡神社
住所 〒424-0931 静岡市清水区岡町2-3

北矢部伊勢神明宮

北矢部伊勢神明宮

水区北矢部、船越堤公園への坂の中腹あたりを入った裏道にある神社。

矢部一族を祀るお十八祖社・伊勢神宮を分祀である伊勢神明宮・新定院から遷座された津島神社・そして梶原景時親子を祀る御霊神社の4社が合祀されています。

北矢部・南矢部の由来でもある矢部氏には、清見関で梶原一族と戦い討ち滅ぼした駿河武士団の矢部小次郎も含まれます。

梶原山の話とは矛盾しますが、景時は自決ではなく矢部小次郎によって討たれたという説もあり、この御霊神社は景時父子の矢部一族への怨念を鎮める為ともされています。

場所 北矢部伊勢神明宮
住所 〒424-0865 静岡市清水区北矢部1318

狐ヶ崎古戦場関連

へ向かう梶原一族が吉川氏をはじめとする駿河国の武士たちと合戦となった場【狐ヶ崎古戦場】の位置は正確に記録が残っておらず、主に2つの説があります。

梶原堂のある矢崎と現在の駿河区曲金。それぞれが言い伝えやここ100年程の風土記などで語られている為、本当のところは定かではありません。

ちなみに国宝の日本刀である太刀・狐ヶ崎為次は、吉川友兼が景時の三男・景茂を一騎打ちで討ち取った際に使った刀として、この地を由来に後に命名されたものです。

曲金観音堂

曲金観音堂

駿河区曲金に狐ヶ崎古戦場で散った武士たちの供養と、町内の平和祈願のために1988年に建てられた観音堂。景時の愛馬『磨墨』を祀る馬頭観音も近くにあります。

敷地内に設置された看板に曲金観音堂の由来が書かれており、狐ヶ崎と称し旧東海道の往還として栄えた事と梶原景時の古戦場としての話が最初に紹介されています。

また1894年発行の【駿河名勝遺蹟】には、有渡郡豊田村曲金と柚木の境に『狐ヶ崎の六本松』と呼ばれる地があった(今は皆枯れて残っていない)と書かれています。

観音堂はここ半世紀で建てられたものであり由緒にはなりませんが、この地が狐ヶ崎と呼ばれていたという記録は長きに渡り伝えられて来たのでしょう。

場所 曲金観音堂
住所 〒422-8006 静岡市駿河区曲金1丁目5-35

清水区大内説

【駿河名勝遺蹟】には続けて、梶原と吉川氏の戦いは広範囲に行われ、庵原郡大内村にて戦死した為、矢崎に梶原堂が建てられた説もあると書かれています。

120年程前の資料の時点で既に正確なところが分からなくなっているのでは、今は知る由もないですね。

狐ヶ崎駅

狐ヶ崎駅

在のイオン清水店のすぐ傍に、静岡鉄道の駅・狐ヶ崎駅があります。しかし地名は清水区上原で、昔から狐ヶ崎という名前の土地だったわけではありません。

こちらはかつて【狐ヶ崎ヤングランド】という遊園地がイオン清水店の場所にあった為で、前身の狐ヶ崎遊園地が開園する際に駅名を変更したとされています。

曲金・矢崎とも離れたこの地の遊園地になぜ狐ヶ崎の名をつけたのかは、静岡鉄道にも問い合わせましたが資料も残っていないそうで、こちらも謎になっています。

場所 狐ヶ崎駅
住所 〒424-0871 静岡市清水区上原1丁目2